労働審判もいよいよ大詰めだ。1年近くかけて準備したものが実りの時期を迎えようとしていた。
全てが決まる3回目の労働審判だ。
前回のお話はこちらです。
第31話 妻の労働審判と俺の決意
いよいよ労働審判が始まる。緊張している妻にワクワクする俺。弁護士はやることはやってくれていると思うがどこか頼りない雰囲気もある。俺が全力サポートするしかない。 俺が妻を救い、ブラック企業に打撃を与えて ...
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労働審判の結審
2回の労働審判を経て、ほぼこちらの全面勝利は決まっていた。
あえて証拠不足、資料不足を匂わせるポイントを作り、そこをドヤ顔で攻め込む会社側の弁護士軍団。それを受けてドヤ顔で証拠を出すこちら側の弁護士。
嘘つきの印象が染み付いた会社側の反論などその後は何の効果もなかった。
あっさりと不当解雇が認められ、残るは金額交渉のみだ。
3か月分の給料を突っぱね、100万円を突っぱねる。
10か月分を絶対取ると決めたこちらの弁護士は頑として動かなかった。
順番に労働審判官、労働審判員と話した時、こちらにはさらなる証拠もあり、録音テープを見せた。希望が通らなかったら労働審判の後に裁判でも何でもやるという姿勢を見せたのだ。
完全決着の瞬間だった。
折れた。
会社側は10か月分の支払いを飲んだ。いや、飲まされたのだ。
俺の希望、妻の希望、弁護士の希望全てが通った。
しかも会社への追加ダメージも知った。
こちらは10か月分をもらう予定であったものの、実際に要求をしたのは300万円オーバーだ。給料にしたら14~15か月分くらいだろう。会社側の弁護士は何の役にも立たなかった。
しかしそれでも弁護士は300万以上の要求から200万強にまで減額したという実績扱いとなる。
つまりここに減額報酬が会社から支払われるのが一般的らしいのだ。
あの日、あの時3か月分を素直に払ってくれれば終わっていた話だ。
労働審判をちらつかせても1か月分しか出せないと言い張った会社の支払った代償は大きい。
ある日突然の内容証明。労働審判を起こされ、弁護士との会議も繰り返しただろう。
業務の進行にも影響が出たのは間違いない。
そして平日の昼間に労働審判に出席する。
労働審判官、労働審判員の前で嘘を嘘と暴かれ恥をかき、説教のようなことも言われる。
全面敗訴となりこちらの希望額を支払うことになる。
何の役にも立たなかった弁護士に成功報酬を支払う。
人の振り見て我が振り直せとは言うけれど、この時ほどそう思ったことはない。
意地を張るというのは本当に無意味で、時にこんな悲劇を生むのだ。相手のことを尊重し、相手の言い分が正しいのか、自分が意地を張る意味はあるのか。
きちんと考えて行動すべきなのだと学ぶことが出来た。
これにより俺らは弁護士への成功報酬を差し引いても100万をはるかに超える金額を手にすることとなった。金額にこだわってはいなかったが、非常にありがたい臨時収入となった。
デイトレも順調だ。
心を入れ替え、毎朝起きるようになった。季節的にもどんどん朝起きるのがつらくなっていたのだが、それでも妻の頑張りを見て決意した俺の心は揺るがなかった。
成績が大きく向上することはなかった。
アベノミクスと呼ばれたバブルは落ち着きを見せ、弟が2回目の億を掴むきっかけとなった新興バイオのバブルも落ち着いてしまっていた。大チャンスと言われる時期は終わったのだ。
それでも毎日コツコツ頑張ることで生活費は稼げる。
10月、11月と2か月連続で20万オーバーの利益を出せた。相変わらずデイトレに熱はない。しかし金を稼ぐことに意欲はあった。塾とデイトレを両立するという意味ではこれで十分だ。
これ以上欲張る必要はない。
弟の収支もおとなしくなっていたこの時期、必要以上に稼ぎたいと思える発奮材料がなかった。
そんな中、妻の妊娠が発覚した。
妻の人生計画通りだった。
これは・・・今まで以上に稼ぐ必要がある。
これぞまさに発奮材料になるはず。そう自分に期待もした。
しかし残念ながらそうはならなかった。
弟のデイトレ手法は以前と変わったようには思えず、時代が味方したものである部分が大きいと思っていた。弟の成績に陰りが見えたこの頃、弟に手法を習っていた妻にも陰りが出てきた。
ビギナーズラックを発揮出来る時期も過ぎ、11月は大きく負け越していた。
俺としてはこのまま弟は以前のように勝てなくなってしまい、妻も負けていくのだろうと思っていた。弟は出金している分があるから生活に困ることはないだろう。
しかしうちはそうもいかない。
まずは妻の手法を俺側に寄せていく必要がある。
安定させないといけない。弟のようなハイリスクハイリターン投資をされては困るのだ。
しかしそういう話をすると決まって夫婦喧嘩が始まってしまう。
妊娠初期なのにこんなに言い合いをしていては身体に悪影響だろう。
全てがうまくいっているようで、実際のところは自分たちでもよくわからなかった。
いよいよ激動の2013年を締めくくる12月を迎えるわけだが、この月を境に俺のやる気はまた一気に消えることになる。
来年、俺は父親になる。
生まれてくる子どものためにも頑張る!
そう思いたかったのに・・・
全ては12月がいけないんだ。
ここまで大きな差をつけられるとは思ってもみなかった。